日本人が音楽を作るには

まず音楽とアイデンティティを考える

音楽を作ると言うことは発表が伴います。音楽を聴いている人は大抵その音楽にアイデンティティを見出します。人が排他的になる時の理由は、アイデンティティを汚される気分になった時だと思います。

例えば、クラブミュージックを考えてみましょう。ヨーロッパのクラブミュージックはその分野の先端を行っていると思いますが、DJプレイを披露しているのはオシャレなお兄さんとお姉さんで、それを聞いて喜んでいるのもそういう人たちです。クラブミュージックは本場のファッションショーでも使われている通り、少なからず見栄えにアイデンティティを見出す人たちが関わっています。そこに、見た目がギークでナードでオタクな人が乗り込んで技を披露してもアイデンティティが汚されると思って排除したい気分を想起させてしまうかもしれません。郷に入っては郷に従えでしょうか。最近、日本人の悪口を言ったサッカー選手が話題になりましたけれども、そういうのはクラブミュージックにもあると考えられます。アイデンティティなわけですから言っちゃ駄目では解決しません。アイデンティティを変える必要が出てきますし、その必要性があるのかも分かりません。

ブルースで考える

ブルースミュージックに置き換えて考えてみましょう。まず以下の動画を見てみます。

現在イメージされるブルースミュージックの原型を作った人達のうちの一人とされているロバート・ジョンソンです。デルタ・ブルース – Wikipedia
ブルースミュージシャンが南部からシカゴに移住してバンドスタイルになったもの。シカゴ・ブルース – Wikipedia

労働者の歌なわけですから乱暴な表現をすると、ギターを弾きながら遠回しな表現で愚痴を言っているようなものがブルースの成り立ちです。The Lord(神様)がどうのこうのと歌うブルースもある点から、琵琶法師に近い雰囲気もあります(琵琶法師 – Wikipedia)。

以上が、黒人ブルースマンのイメージです。白人が黒人の真似をして成立したホワイトブルースというものもあります。下働き労働者であった黒人が作った音楽を、雇い主であった白人が気に入って真似をしたという面白さがあります。人間が持つ共通の感情に届いたということでしょうか。

100万ドルのブルースギタリストというキャッチコピーでデビューしたらしいジョニー・ウィンターです。この曲はピアノ弾き語り曲( https://youtu.be/AuFjdHZgElw )のカバーです。
日本でもファンの多いスティーヴィー・レイ・ヴォーンです。ギターの弾き方と音色に典型的なブルース色が残されています。このロック的な演奏スタイルのルーツは、ジミ・ヘンドリックスという黒人の天才ギタリストがブルースから昇華させたものではないかと思われます。

ホワイトブルース愛好家の勝手なイメージは、アメリカ南部に住む体格が良くてタトゥーを入れている男性が自分を重ねるように熱狂して聴いているというものです。ですから、ここにヒョロヒョロの日本人が表面上の真似をして乗り込んだでも、最悪の場合は彼らのアイデンティティを傷つけることになりかねないわけです。

ブルースミュージックに潜むもの

白人ブルースマンがテンガロンハットをかぶっているところを見るに、以下のような文化が重なっていることが分かります。

1964年にイタリアで制作及び公開された西部開拓時代をテーマにした映画『荒野の用心棒』です。西部劇 – Wikipedia

このような男性的なものの憧れに似たものがホワイトブルースに結合しているわけですから、日本人がどうしてもブルースを演奏したい場合に求められるのは以下のような雰囲気ではないかと考えられます。

1961年に公開された黒澤明監督の時代劇映画『用心棒』です。時代劇 – Wikipedia

要するに、本来とは別物であることをハッキリと提示しつつも、根底にある求めている像の共通点が必要ということです。商業的に成功するための話ではなくて、最初から拒絶されないための話です。ブルースはブルーな気持ちを歌にしているシリアスなものですから、色物過ぎた雰囲気になったりふざけた雰囲気になってしまうのもNGです。ただ、ポリティカル・コレクトネスで騒いでいる今日となっては、そもそもやりにくい音楽となってしまった可能性もあります。ポリティカル・コレクトネス – Wikipedia

音楽を作るという話

「初期のブルースの魅力」を端的に表現すれば、「シリアス」なのにどこか「ゆるい」というところにあります。昔の音楽を参考にしたい場合、ブルース形式といった音楽理論上の形式を使わずに「ブルース性」という「要素だけを吸収する」という手法も考えられます。

情報を要素に分解してみるのはプログラミング的な行為で、パズルでないものからパズルピースを見出すような楽しい行為だと私は感じています。